よなハック

【挑戦と変革に共に立ち向かう】徒然と書いてます。

5635文字!支離滅裂の超大作

こんにちは!!
本日は知的好奇心が最強に爆発!!
そんな感じの1日でした!最高!


振り返り!


起床後、小林さん宅へ!
デカすぎ!!


そして、日体大へ!
NSSU Coach Developer Academy NSSU-ICCE Coach Developer Academy Program、(以下、NCDA見学)見学。

これがめちゃくちゃ濃厚でした!


NCDAとは、「日本、アジア諸国、そして全世界の人がスポーツを通してポジティブな経験ができるコーチング文化を創造する。」をビジョンに、日体大がコーチ育成者を育成するプログラム。


コーチではなく、コーチ育成者を育成する、という考え方とプログラムが非常に先進的で面白いと感じます。


これまで日体大が培ってきたコーチングの科学と実践的知識と、国際コーチンエクセレンス評議会の海外事例を包括した実践的知識とのコラボレーションで、爆裂にハイレベルな研修となっていました!


面白いと感じた点を箇条書きで上げると
・研修のウォーミングアップがある(2人組で歩きながらコーチングについて話す)
コーチングに際しての、多種多様なTIPSを元にプログラムが構築されている。(LEARNING,SMILES, TEDPIE,GROW,GRIP,TIPS+TRAPSなどなど、スポーツコーチングの様々な場面に応じた行動指針の頭文字を取ったスローガン。)
例えば、GROWなら、
G: Goal
R:Real
O:Option
W:Way found

など!

これに関して面白いと感じるポイントは、フレームワークを使うことによって、全体を考えてから部分のコーチングに入るというプロセス。


コーチが常に傾聴の姿勢を保つ前提で、スポーツにおける各場面で使うフレームワークを選択し、その中からアスリートに対する問を考える。


自分がアスリートだったら、と考えた時に、客観的な視点を持ち、全体を捉えることができ、その中で改善すべきポイントを見抜き、問を立ててくれるコーチがいたら、仮説→実行→振り返りのサイクルを回すスピードがかなり向上するのではないかと思う。


そして、フレームワークを使うことによって、場当たり的に選手と関わるのではなく、全体を捉えて問を立てる、というのも面白い。



場面によって使い分けることのできる多種多様なフレームワークを用意することによって、経験と感覚で指導するコーチングではなく、科学的なコーチングを実現していると感じる。


そしてこれらのフレームワークは、スポーツコーチングの場面に限らず、いろんな場面で使えると思う。



また、手段を用意するに留まらず、その場でその手法を使ってみる、そしてその感想や気づきをシェアすることによって、既存のフレームワークをブラッシュアップする、ということもしていた。



進化の速度が半端ない。


何かを教える立場になる時には、こういうTIPSを持っておくと強いと感じた。


また、世界各国から集まったスポーツコーチングの第一人者の方々とお話できたのもありがたかった。意見交換する中で、「体罰はいけないと言うが、日本の思想に深く浸透している禅でさえ、集中できていないと棒で叩かれる。日本において体罰は相当根深いのでは?」みたいな話とかもそう。



スポーツを取り巻く様々な環境、文化にまで意識を広げながら、コーチングを捉えなおしている。



ブラジルの方とお話した際、日本でコーチングを学ぶことに関して、"Dreams come true. I'm living on my dream."と言っていたのもめちゃくちゃ印象的でした。


確かに。僕自身も本当に今の環境で、やりたいと思ったことすべてやらせてもらえているな~と再認識。感謝!



その後、東京駅へ。
税理士の萱原さんと会う。
金融リテラシーについて。
お金を扱う知識があるかないかで、人生の選択に差異が生まれるというところのお話。


お金に関する知識、全然ないので勉強になることばかりでした。




その後、渋谷へ。
東京大学大学院で文化人類学を学修中の英太郎と会う。

文化人類学とは?文化とは?人は何故自殺するのか?等々。文化人類学に関しては、いろいろと興味のある部分が多かったので、非常に会って話すのを非常に楽しみにしていました。


以下、僕の理解!


文化人類学とは?

文化人類学とは、コミュニティにおいて形成された文化が、形成された背景を読み解く学問。例えば「いただきます」って食事前に日本人は言うけど、海外では言わない、つまり、いただきますは日本独自の文化。というところで、なぜご飯を食べる前にいただきますという文化が生まれたのかを探るといったところ。


なぜメイド喫茶の店員は萌え萌えしてるのか、とかもね!



。そもそも人はなぜ人は文化を形成するのか?

住みやすい環境を整えるため。
アリがアリ塚を作るように、動物が群れを成すように、人間が家を作るのも、群れの中で文化を形成するのも、住みやすい環境を整えるため。住みやすい環境を作るための、群れの中での共通認識が文化といってもいいかもしれない。


・今日の日本では、学校っていうのが、子どもにとって重要なコミュニティになってて、学校に馴染めない子どもの居場所がない、っていう問題意識があるんだけど、文化人類学の切り口からその問題を捉えると、どう捉えられる?



そもそも、子どもっていう概念ができたのが割と最近。子どもと大人の境目はあるようでない。


昔は、学校とかもなくて、地域の中で、百姓の子どもは百姓、魚屋の子どもは魚屋、木材屋の子どもは木材屋の手伝いをしていた。子どもはたくさんいたので、丁稚奉公で他の家に行ってた子も多かった。その中で、完全ではないながらも、いろいろと経験しながら、教わりながら、だんだん一人前になっていった。その時は、子どもとか大人とかじゃなくて、一人前とか半人前とかいうものの言い方だったんじゃないか。




地域の教育とは別に、学校教育は、近代化が進んだ西欧でできたもの。国が国力を争っていた中で、人は国にとっての財産というところで、国にとって有益な人材になってもらうための知識とスキルを教えるため、学校教育というものができた。



そもそも、文化には2種類あって、地域的なものと、国が作った現在の法律、制度に分かれる。


地域的なものとは、村とかで小さい単位でコミュニティを形成していた時の、村単位のルールみたいなもの。


国が作った現在の法律、制度というものは、言葉の通り。



そのころの教育はだいたい3つに分けることができる。
・親の教育
・地域の教育
・学校の教育


近代化が進むに連れ、だんだんと学校教育が力をつけていったため、地域の教育が影を薄めていったのではないか。



地域の教育ってのは、上で書いた一人前、半人前みたいなところ。大人の仕事の手伝いとか。



学校いかないで、家や地域の大人の仕事を手伝う子どももたくさん昔はいたはずだけど、今は学校行くことが絶対みたいな風潮が出来上がってしまってるので、学校に行けなくなったときに、子どもの居場所が無くなってきている。

www.huffingtonpost.jp


夏休みの終わりに子どもの自殺率が急増するということで、鎌倉図書館が出したこのツイートも大きな反響を生んだ。




など。



いつから地域の教育は影を薄めていったのでしょうか




・人はなぜ自殺するのか?



自殺は、デュルケムが社会の問題とするまでは、
・自殺する個人の問題
・自殺した人と神との関係の問題(キリスト教では自殺したら確実に地獄に落ちると言われているらしい)
の2つで語られていた。


しかし、自殺するのは個人の問題じゃなくて、自殺するほど個人を追い込んだ社会の問題じゃないか?という問いを立てて、自殺は社会の問題として認識されるようになっていった。



というところで、自殺は一つの原因で起こるものではなくて、様々な要因が重なりあって起こるものではないかというお話。人は社会のなかで、様々なコミュニティに所属しながら生きている。一つのコミュニティで問題を抱えても、その他のコミュニティでカバーできれあば、自殺するまで個人は追い込まれることは少ない。しかし、所属するコミュニティのそれぞれで問題を抱えてしまうと、追い詰められてしまう。


追い詰められると、正常な判断がつかなくなって、突発的に自殺してしまうのではないか。



など。



インプットが炸裂しすぎて、整理が追い付かなかったけど、英太郎を博識でいろんな知見知識を持っているので、めちゃくちゃ面白かった。



自分自身の考えはこうだ、という風にはまだなれてないので、思考していきたい。




その後、再び東京駅へ。
未来を変えるプロジェクトのイベント、「組織文化の作り方/壊し方」参加。
の前に、一時間半バッファがあったので、夕ご飯を食べようかと道上のマップを見ていたら、ナイジェリア系イギリス人に話しかけられる。


「昨日東京に来たけど、どこにいけばいいかわからないから教えてほしい。」とのこと。


僕も東京駅周辺にはなかなか来ないのでわからない。など、いろいろ話しているうちに仲良くなり、一緒に夕ご飯を食べに行くことに。笑


初対面の外国人と沖縄料理を食べに行きました。

f:id:ryuta-wrestling:20170915113304j:plain

初対面の外国人といきなり飯食いに行くというのは、かなり刺激的でいい経験だった。

Thanks Uju!




その後、未来を変えるプロジェクト「組織文化の作り方/壊し方」に参加。
このイベントも、非常に面白かった。



どのように組織が衰退していくか。をまずインプットスピーチとしたところで、ワールドカフェ形式のディスカッションを3回。


スピーチでは、事故が起こる組織はどこも同じ構造。「空気を読む、自分で考えない、自己保身」といった集団浅慮が、大きな事故を生む。といったお話。



事故が起こった後で、多い言い訳は、「いつかこうなると思っていた。」ということ。


組織文化は、今ここで自分自身が作り上げているという意識が圧倒的に足りないそうです。



といったところで、組織文化を変えるために一カ月で自分ができることを議論。



面白かったのは、経営層と新入社員は比較的問題意識を自分事にできている。しかし、中間層は、会社の文化に染まっちゃって、集団浅慮に陥りがちだということ。



なぜか。



経営層は、外と内を見る仕事。新入社員はそもそも外から来たばかり。というところで、中間層は、外が見えていないのではないか。という議論が起こった。



結局いろんな組織変革の事例を考えてみても、いきなり会社の文化が変わることはなく、半歩くらい外に出てる人が、変わらないといけないという問題意識を持ち始めて段々変わっていくものだということ。



ここで、半歩くらい、というのが重要で、外に出すぎると会社内の共感を得られないから、文化を変えることはできない。という意見もありました。



組織文化、面白いですね。




日本は比較的失敗を恐れる文化があるので、新しいことに挑戦して失敗した人を首にしたり、責任を押し付けたりする。だから、波風立てずに交渉や世渡りが上手い人が出世したりするわけだけど、そうなると、挑戦しない人が精進していく文化が生まれてしまう。そうなると、組織としてはもう衰退の一路をたどる一方だということ。



難しいですね。組織。。




どのようなマインドをどのように浸透させていくのかがカギになると思います。




本日、「スティーブジョブズ」の上を読み終えましたが、カリスマ性から来る強烈なビジョンを仲間に見せることと、狂人と言っても過言ではないほどの行動力をもってイノベーションを起こしまくってきたそう。



組織文化を変える前に、ビジョン(理想)を語れるか、そのための行動指針を打ち出すことができるか、といったところが難しいな、と感じます。



その後、学校に戻り、作業など。
動きっぱなしで全然手が付けられないことが多い。。



そして、オランダに留学中の同期と電話にて情報交換。




そして帰宅。



頭を整理できません!!



知識と経験の両輪が回り始めている!!



過去に例がないくらい、爆裂に、天才的にやる!



おしまい!