20181012
ポジティブな思考停止
ここ数日はずっと読書してます。
もうずっと本当にずっと読書です、結構面白いのが、本ってやっぱり読むのしんどいんだけど、読めば読むほど知識がついてきて色んな物事と結び付いてくるんですよね。そうしてわかればわかるほど、面白くなっていく。
今は読んで分かってるつもりになってるから、この本で得た知識を実践したい!!ってなってるんですけど、これをトピックタイトルのポジティブな思考停止と言ってます。
実践したいんですよ。
知識をインプットしたいと思って知識を爆裂にインプットした結果、この知識が使えるのか実践でアウトプットしたい!!
これだけ考えてます。笑
知識欲を充たした結果、実践への欲求不満。
非常に良い状態だと思っています。
大学院の帰り道に健一郎と話しながら、こういう学びがあった、ああいう学びがあったって話しながら、やっぱ実践だよねって話になって、実践したい実践したい実践したい~!!と頭の中が実践の2文字で埋め尽くされ、もう実践のことしか考えられない。右脳と左脳が「実」「践」の2文字でキャパオーバー。
健一郎に言われたのは、ボジティブな思考停止って、めちゃくちゃいいのかも説。
そんなこんなで、みんながポジティブな思考停止状態になれば世界平和実現する説。
ボジティブな思考停止の何がいいのかと言うと、思考停止という悪い意味で使われる言葉を前向きに使えていることがいいらしい。
さすが健一郎。言葉のセンスにも優れています。
まとまりないですが、ポジティブな思考停止についてでした。
そのうちまたまとめます。
エネルギーについてPART2
こちらはエネルギーについてのパート2なんですけども、本日きいさんにエネルギーは自分と物事の間に発生する説を言ってみたら、その物事は与那覇君にとって何なのかということを問われました。
僕にとって今本を読むことって自分の足りない知識を補う作業であると考えております。
自分が足りないということを認識しているモノを得ることって間違いなく価値があるよね。で、それをやることってエネルギーを持って取り組むことができて、当然だよね。
と言われて頭の中でガーンという効果音とともに、「そりゃそうだめちゃくちゃ当たり前だ」というナレーションが流れて来た気になりました。
というのも、この説を唱えた時からなんとなくなんか当たり前感はあって、その当たり前感を言葉にできていなかった。
自分が価値をを感じることができるモノとの間にエネルギーが発生するっていうのは、まあそれはそうですよねっていう感じです。
エネルギーの発生源が自分ではなく、自分と物事の間という考えは面白いと思う。それをなぜかと考えると、自分が物事に取り組む時に、その物事に価値を感じてるか感じていないかと言う指標が、自分自身のエネルギー量に直結してるっていうのは当然だなぁと。
やる気が出る、やる気が出ないに関わらず、何かに取り組む時にその取り組む対象が自分自身にとって何なのかを考えてみることが大事ですけ。
取り組む対象:自分自身にとって何なのか
■やる気もって取り組める
・読書:知識のインプット
・健一郎、きいさんとの議論:思考の深化
・人のお悩み相談に乗る:自分自身の学びの発揮
・レスリング:体力と精神力と思考力の鍛錬
■やる気もって取り組めない
・課題:やらないといけないもの
・走り込み:苦手なもの
とかかな~。
これから日常生活の中で意識してみよう。
自分自身は自分のパフォーマンスが発揮できるか、自分のパフォーマンスが向上できるかというところに価値を感じるんですが、何故そこに価値を感じるかを考えてみた結果、自分自身がコンテンツ化できるからだと思いました。
コンテンツというのは、情報の中身でして、このブログやTwitterなどのSNSで色々発信する際、またはメディアで発信してもらう際の私の情報の中身のことです。
誰かに取って価値のある情報を提供できることをコンテンツがある、と言えると思います。
自分のパフォーマンスが発揮できている=自分のコンテンツを誰かにとっての価値として提供できている
自分のパフォーマンスが向上する=自分のコンテンツを準備している
そんな区分けかと。
そんな金曜日でした。
おしまい!!