20181124
「今日はいいや、明日は書こう。」
て、毎日思いながら気付いたら10日も過ぎたんですね。
時間が過ぎるのは早い。保育園の頃なんか時間が経つのがゆっくりすぎて、「次は〇〇組さんだよ!?」とか言われても、いつの話してんだよみたいな、年を取るという自覚も何も芽生えなかったこと覚えてる。そりゃそうか、年を取ることと成長することは同義ではないからな。
保育園の頃とか、当たり前に成長する時期には同義なのかもしれんけど。
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この10日間は色々ありましたね。
一番は、全日本社会人オープン選手権大会で優勝したこと。一応全日本という大会なので、15回目の日本一ということになります。
そして、小、中、高、大、社会人と、各年代の全国大会という位置づけの大会で優勝したことになります。
初めて全国大会で優勝した小学6年生の時の夢には全然届かないけど、15回も日本一になれたら上出来なもんです。
沖縄から母も応援に来てくれました。ありがたいです。何がありがたいかっていうと、こうして親孝行できることがありがたいです。もう24歳とはいえ、こうして元気な姿で息子が頑張ってる姿を見れるというの母親としては嬉しいことでしょう。
と、自分が親になって子供が24歳だったら、と考えてそう思います。
昨日重松清の「とんび」を読んで、親心を想起する今日この頃です。ちなみに号泣しました。
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今日は午前中に研究の発表用のポスターを作り、3時頃まで研究のプロセスをまとめ、帰宅して「聖の青春」を読み終えました。
三歳からネフローゼという大病を患いながら名人を目指す将棋士の実話。名人を目前にして29歳で逝去。勝つか負けるか、殺すか殺されるか、将棋か死か、常に問い続けながら生きた人間の生きざまを読んで、涙が止まらない。
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夕方は、大好きな向が丘遊園のカフェ、NIKOに行き、コーヒーを飲みながら人生100のリストを書き進める。
人生100のリストとは、与那覇竜太の生涯でやりたいこと100個を並べたリストのこと。
指導教授にオススメされた「人生100のリスト」を読んで、自分の人生100のリストを書くことにしたのでした。
「人生100のリストに書いたことは不思議と実現していった。」
というフレーズに触発され、じゃあ、書くしかないなと思い立ったのでした。
今日は15個ぐらい書いて、リストに書かれたやりたいことは45個になりました。中にはしょうもないと思うものもありながらも、自分の人生でやりたいと思うことを書き綴っていきました。
こうして自分の人生を通してやりたいことをひとつひとつ書き綴っていくと不思議と元気が湧いてくるもんで、NIKOから駅までの道中は、「幸せだな~。恵まれてるな~。」という思いが自然と心の奥底から湧き上がってきました。
実際、幸せだし、恵まれてるなぁと思う今日このごろです。
夜は翔吾さんにご馳走になりました。日吉に着くと駅のベンチでパソコンをカチャカチャやってる見城君(研究室同期の相棒)を見つけ、そのまま捕まえて自宅で一杯。
そんな一日でした。
大学院で学んだこと、日常の生活の中で何に時間を使っているか、他人に説明する機会があまりなかったので、今日はここにまとめてみたいと思います。
伝えるというよりは、自分用のメモがてらに。
一言で言うと、考える力がついたし、物事の考え方を学んだと思っています。
世の中にないものを狙って生み出す考え方、今までにないものの実現方法を考える考え方、自分の思考行動感情を言語化する方法、研究というものの進め方。
長い人生を通じて気づいていくようなことを、バリバリ学ばせていただきました。
今はその考え方を使って沖縄に恩返しできる何かがしたいと思っています。
与那覇なんかつまらなくなったな、と最近言われましたが、なんとも思わなかったし、そんななんとも思わない自分が、「他人の価値観ではなく、自分の価値観を軸に生きているな」と誇らしくさえ思うのでした。
確かにレスリングやってる時は命がけだったし、楽しむ余裕もなかった。
今は日常の中で目の前のこと全てが楽しいし、自分が価値を感じられないと判断したものは体裁気にせず断れるようになってきました。
近いうちにまた命がけで何かをやり遂げようというスリリングな挑戦もしたいと思っていますが。
気負わず、焦らず自分の思考と感情に従って行動を実現できているいい状態かなぁと思っているところです。
だからこそ、素直に幸せで恵まれていると思えのだと思います。
そんな11/24でした。
1/25には修論提出。
呑気だった今日の自分を殴りたくなる日がくるかもしれない。笑
おしまい!