よなハック

【挑戦と変革に共に立ち向かう】徒然と書いてます。

その時代を生き抜いた先人たちがいるからこその今の沖縄


20190313

 

起床後、釣具店へ。

餌を購入し、宜野湾マリーナへ。

釣りをしました。

これまでの人生で釣りをしたことは数えるほどしかありませんでしたが、今回の帰省でハマりかけです。


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重り・針・餌のサンマをつけて、海へスロー・イン!

根がかりしてばかりで何も釣れませんでした。

ビギナーズラックならず。

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釣りはいったん終了。

高校・大学のレスリングの後輩である恵永を迎えに行き、波布食堂へ。

沖縄では有名なデカ盛りのお店。

埠頭内にある食堂でして、力仕事のにぃーにぃーたちの栄養補給のためにデカ盛りなのではないかと察するところ。

3月末をもって完全閉店するとのことで来たかったのでした。

着いてみると、行列が。

めげずに並ぶこと1時間で着席。

私はカツカレーを注文しまして、宇宙戦艦ヤマトのようなカツカレーが来ました。

満腹中枢が満たされると完食は難しいと思い、スピードで完食。

美味しくいただきました。

 

小湊は肉そばを、恵永はチャーハンを注文。

それぞれデカ盛り。


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みんな完食。

 

中学か高校の時に来て、完食できなかった記憶があるので、嬉しい気持ちになりました。

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波布食堂で腹をパンパンに満たした後は、瀬長島へ。


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島ですが、橋がかかっているため車で行けるのがこの瀬長島。

ブルーシール・アイスクリームを食べました。

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その後、旧海軍司令部壕へ。

沖縄戦時に海軍の主要拠点となった基地壕を見学。

有名な、「沖縄県民カク闘ヘリ。」の電報を読んだり、実際に壕を見学したり。

来るのは2回目ですが、やはり気が重くなる。。

特に、幹部が自決した部屋には、壁と天井に手りゅう弾の跡が生々しく残っており、ここで海軍幹部が自殺した事実を実感しました。

 

沖縄県民カク闘ヘリ。」の電報とは、当時の海軍司令官の大田実中将がうった電報。

情報を発信する機能が破綻していた沖縄県庁に代わって沖縄県民の状況を伝えるためのものだったとされおります。この電報をうった後に、自決しております。

以下に引用。

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。


海軍次官宛の電報(現代訳)
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

 

うーん、、。知れば知るほど沖縄戦は地獄。

なんで沖縄が戦場に、、。

74年前の出来事とはいえ、悲しい。

仕方ないとは言え、なぜ沖縄の男たちはまともな訓練も受けないまま戦場に駆り出され、女・老人・子供までもが逃げまどいながら戦をサポートしなければならなかったのか。

 

私は生まれるのが49年遅かっただけ。

あと49年早く生まれていたらこの戦争に巻き込まれていたんだと。

そう思います。

 

その時代を生き抜いた先人たちがいるからこその今の沖縄。

今の生活。

 

自分自身は何ができるか。

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その後、帰宅。

0歳からの友達、あきひさ、よう、と合流し、小湊、けいえいと5人で飲み。

飲み会からの餃子。

そして解散。

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本日も充実の1日でした。

おしまい!