よなハック

【挑戦と変革に共に立ち向かう】徒然と書いてます。

一日中沖縄を満喫

20180902

 

 

本日も箇条書きで。

一日中沖縄を満喫した。運転してくれたれーいに感謝。

 

 

まず機織り工房しよんへ!

www.shiyon.info

 

機織りの工程を、一から丁寧に説明していただき非常にありがたかった。機織りも、その工程を把握しておらず、実際に現場でモノづくりの過程の全体を聞くと、めちゃくちゃ複雑!!

だし、大変!

 

まず、気候や素材の状態などによって変化する成果物。同じやり方でやっても同じものができるわけではなく、思い通りに成果物を作り上げることは至難の業。

熟練するのに相当時間がかかることを理解しました。

 

一生かかっても熟達しきらないのでは、、。というほど、各工程複雑。そして、自然の素材を使うため、状態などもコントロールできない。

 

そういう難しさと付き合いながら、モノづくりを行っている。

 

単なる商品そのものの価値ではなく、職人がこれほどのモノづくりをできるようになった熟達の過程、コントロールできない自然の素材の上で成り立っていることが価値と知りました。

 

これも現場にいかないとわからなかったことだな。

 

職人~!!尊敬!すごすぎる。

 

沖縄の伝統をカジュアルに、とブランド展開をしていくには、自分が職人を目指すのではなく、職人の問題を解決することがそのまま価値として売り出せるようなシステムを構築していかないとだな。

 

ここをどう具体的に組んでいくか。

この分野なら自分の得意な領域でもあるので、やる価値は大いにありそうだと思いました。

 

素敵な首里織のしおりを購入しました。

沖縄に立ち寄った際にはぜひ、機織り工房しよんへ行ってみてください!

 

 

 

 

その後、対馬丸記念館へ。

1945年の終戦の1年前、沖縄県内の児童生徒を載せた疎開対馬丸

 

みんなが寝静まる夜22:00過ぎに、アメリカの潜水艦ボーフィン号の魚雷によって撃沈され、1500人以上の子どもたちの命が失われたのでした。

 

当時アメリカ軍は「リメンバーパールハーバー」を合言葉に日本の船を片っ端から撃沈していたとのこと。

 

ふざけんなよマジで。という感想です。

 

子どもたちが乗っていたことを知っていたのか。

 

まあいまだに世界では、子どもたちが戦争に巻き込まれ命を落とすというニュースが絶えないわけですが。もうやめよう本当に。

 

 

 

その後、沖縄県立博物館へ。

 

紀元前何年~という古代から現代までの沖縄の歴史を見学。

さすがに知らないことだらけすぎる。

もっとゆっくりじっくり見たい。

 

何回も通わないとわからないだろうな。

 

 

その後、祖母の家へ。

83歳になるそうです。元気そうで何より。

 

 

その後、海行って、自宅でご飯をたべ、犬の散歩をし、星を見に海へ行き、帰宅。

沖縄最終日として最高の一日でした。

 

もっと知りたいな、いろいろ。

自分が立っている沖縄の、歴史、自然、文化。

今度は自分が

20180901

 

現在9/3。2日遅れで更新。

自分のライフログ用に。 

 

  • レスリン
  • 池原と飯
  • ブログ書く
  • てだこ道場の同窓会

 

起床後、浦添工業高校レスリング部の練習へ!母校の練習に参加してきました。

 

過去の栄光の石碑が立っていた。有難い。


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その後、仲西中62期の同級生、池原と飯。

事業計画や経営などについていろいろ教えてもらう。同級生がすでに勝負してるのはめちゃくちゃ心強いし、勉強になる。

ビジネスは、人数×アイデア×値段

マーケティングやセールスなどの人数面をどうしていくか。いかに多くの人に知ってもらえて、買ってもらえるのか。というところが全然わからないな~と。

またもやわからないことがわかった一日だった。

 

ビジネスシステムをどう組んでいくか、ということをいろいろ考えながら動いてみて、わからないことだらけで進めど進めど壁、みたいな状況ですが、こうして一つずつ、わからないことを把握し、わかるように努力し、ということの繰り返しだな。

 

今はわからないことが多すぎて、何が分からないのかがわからない、というのが実際。

 

マーケティングやセールスといったものが売れる仕組みを勉強したい。

 

その後、帰宅し、ブログを書く。

 

沖縄滞在中に見聞きしたあれこれ、書き溜めておかないにはもったいなさすぎる。

特に祖母の話とか。

 

整理できていないのももったいないけど、やらないよりはマシ、ということで書き溜める。

 

 

その後、てだこ道場の同窓会。

小学生の時に北海道に引っ越していった子が沖縄に遊びに来るというタイミングで同窓会を開催しました。


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こうして小学校の時に柔道とレスリングをやっていたメンバーで、集まってお酒を飲むっていうのもなかなか感慨深い。

 

そして酒とともに昔話に花が咲くと、ここで自分の人格が形成されたんだな~ということを改めてしみじみと感じた。

 

24年の人生、小学生時代に柔道とレスリングに出会えたことがどれほどの財産だったか。花城先生と屋比久先生のもとで柔道とレスリングに取り組めたことがどれほど有難いことか。どれほど自分の人格に影響を及ぼしているのか。

 

すべての原点と言っても過言ではない。

 

 そんな一日でした。

今度は自分が次の世代へ。

 

魂削って

20180831

 

8月最終日。気づいたら8月も終わり。あっという間に終わる。本当にあっという間。

本日も自分のメモ用に。

 

  • パスポート
  • パンダ保育園
  • 城間紅型工房
  • ウミカジテラス
  • りなさんと飯
  • やぎ汁

 

午前中はれーいのパスポートを取りに行ってご飯を食べました。

 

午後は、出身保育園であるパンダ保育園へご挨拶。先生たちといろいろお話しました。いつまでも6歳扱いされる。もう24歳やで。4倍成長したで。

 

その後、城間紅型工房へ!沖縄の伝統工芸「紅型」の御三家の一つである城間家の紅型工房を見学させて頂きました。想像の5倍手間がかかっていた。各工程を見せてもらい、藍染めも見せてもらった。染料と顔料の違いや、各工程の大変さ、なぜそのような工程を経て制作されるのか等々、わからないことがたくさんわかりました。

 

ほとんどが着物や帯として生産されるとのこと。ネットで値段見たら数十万でした。が、その価値は間違いなくあると思いました。

 

貴重な経験をさせて頂きました。業務中にも関わらず、対応してくれた神谷さんに感謝。

 

その後、ウミカジテラスへ。ウミカジテラス内のAOshopさんが、「high casual」の紅型胸ポケTシャツを販売してくれていたのでした。

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こちらのAOshopで、7,8月で合計30枚売れました。買ってくれた方、販売してくれたAOshopの方々に感謝です。

実際の店舗で販売されている製品を見て、めちゃくちゃ感動しました。

 

同時に、モノを売ることの難しさも感じました。販売の難しさもいろいろあって、そのあたりもわからないことがわかりました。

 

その後、浦添工業高の先輩のりなさんとごはん。

現在芸大で非常勤講師をしつつ工房で機織りをされているとのことです。

若手職人の現状をリアルに聞けていろいろ勉強になりました。

 

職人は、熟達するまでに時間がかかるけど、お金が稼げないと時間もかけれない。

自分の強みとブランドを築くまでに時間がかかるけど、時間をかけたから上手くいくとは限らない。

 

などなど。めちゃくちゃ勝負してるんだな。。と。

 

そういった若手職人の問題に対して解決策を提示できるようなビジネスモデルを確立できないか。。

 

「自分も経験してるから、寄り添えるのが与那覇くんの強みかもね」

と言ってもらえたのはしっくりきました。レスリングを通して培ってきた上達の過程や、大学院で勉強しているシステムデザインを活かして沖縄を盛り上げるとしたら、自分自身が沖縄の職人技を身に着けようとするのでなく、若手職人を下支えする基盤整備と、財務やマーケティング、意思決定へのサポートがあってもいいのかもしれない。

 

 

職人は厳しい世界。とはよく言うけど、魂削ってやってますもん皆さん。本当に。

 

 

自分にしかない強みを持っていると思うので、その掛け合わせでどうにか沖縄に貢献したい。

 

 

自分の中で何かが変わっている

20180830

 

今日のハイライト。

自分の記録用。

 

 

起床後、祖母の家へ!祖母に、戦前の生活の話や、戦時中の話を聞く。戦争前は、どの家も家に豚を飼っていて、便は豚に食べさせていた。食べ物は全部芋だった。芋は蒸かしてカゴに入れていた。食べる時には芋にたかっているハエを払って食べていた。お肉を食べれるのはお盆と正月の年に2回だった。小学校に行って家から帰ってきたら、やぎに食べさせるための草刈りをするのが仕事だった。小学校ではヒトラーチャーチルの写真を竹やりで「えい!」という掛け声とともに突くことを習っていた。教育というのは敵の写真を竹やりで突くものだった。校長先生が天皇のなにかに関係する巻物を持ってきてお供えする間、小学生は鼻を垂らしながら校庭に並んでいた。学童疎開はお金持ちの子どもが行くことができた。戦争が始まってからは、祖母たちが住んでいた地域はみんな同じ防空壕に入っていた。もう米軍がそこまで来ているというので防空壕から出ることになった。年寄やけが人など、防空壕から出て逃げることができない人たちは、みんなで集まって、集団自決した。その際、円形で座っていて、内側に座っていた人たちは死んで、外側にいる人たちが生き残った。それが近所の○○さんや○○さんたち。戦争中は、海が米軍の船で埋め尽くされて真っ黒だった。常に艦砲射撃が降り注いで、家の周りでずっと太鼓を叩いているような音が響いていた。防空壕に入ったら、奥に女子供が、入口側に男が座ることになっていた。防空壕の入り口に爆弾が落ちたら、入口に座っていた男の人たちが死んだ。とても怖かった。米軍が南下するに連れて、日本軍に防空壕を追い出されていった。生活品も置いていくように言われた。泣き止まない赤ちゃんがいたら防空壕を追い出されていた。死体を飛び越えながら南部へ逃げた。誰かのおうちの防空壕に避難しているところを、米軍に出てこいと言われて捕虜になった。アメリカ軍は食べ物をたくさんくれた。

 

などなど。

 

その後、浦添市立図書館へ。「沖縄学」というコーナーがあり、そこで様々な沖縄関連の書籍を見た。なぜ沖縄にこれだけ基地があるのか、戦後の沖縄ではどのような問題があったのか、沖縄はどのようにここまでの生活を取り戻してきたのか、なぜ沖縄の振興予算だけが基地と絡めて語られるのか、沖縄の文化はどのように発展してきたのか、どのような特徴を持っているのか、なぜなぜなぜ。

 

 

知らないことだらけだということがわかった。

 

その後はれーいと海。

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うーとーとーTシャツ、いい感じです!

こちらから購入できます!

highcasual.thebase.in

 

 

その後、沖縄三田会参加。

沖縄出身の先輩方といろいろお話でき、大変勉強になりました。

やってやるぞ沖縄2018。

 

その後、残波岬で星を見る。

 

 

 

沖縄の豊かな自然、温かい人々、独自に発展してきた歴史と、祖母が子ども時代の話や戦争の話。いろいろなことが聞けました。

 

時間がなくて言葉で整理できてないけど、自分の中で何かが変わっている気がする。

 

沖縄愛が深まっているし、やはり何かやりたいしやらねば、という気持ちになる。

 

 

地元中の地元は激戦地でした

20180829

 

こんにちは!沖縄帰省2日目。

本日は地元浦添市の激戦地、「前田高地」に行ってきました!

前田高地は前年度「ハクソー・リッジ」という名前で公開された映画の舞台です。(監督はメル・ギブソン

 

 

前田高地がなぜ激戦地になったのか

 

一言でいうと、地形的に重要なポイントだったから。

 

 

1945年4月1日、沖縄本島に中部から上陸したアメリカ軍は、沖縄を東西に分断し、その勢力を北部/南部へそれぞれ拡大していきました。沖縄戦時、日本軍の本部が首里城那覇)にあったため、アメリカ軍は首里城を陥落させようと南部へ兵を進めていったのです。

 

その首里城を目指すにあたり、重大なポイントだったのが前田高地。

 

この前田高地は、昔々琉球王国の王府が置かれていた場所。首里に王府が移るまでは、浦添の前田高地に琉球の王府が置かれていたそうです。

前田高地は海抜の高さが首里城と同じ高さであり、見晴らしの良さなどを含め地形的に大事な場所。

 

沖縄戦当時、日本軍にとってはこの前田高地を陥落されると、首里城まで一気に攻め込まれてしまうという重大なポイントでした。

 

 

一番の激戦地と聞いた広場は、広さ的には小学校の体育館くらいでした。こんな場所でアメリカ軍と日本軍が戦いを繰り広げたとは、、。絶対的に死ぬ覚悟があったことは想像に易しい。

 

 

たまたま、現地のガイドがいたり、自衛隊の幹部候補生が研修に来ていたり、住民側の視点と、軍側の視点、それぞれの視点から前田高地での戦いを聞くことができました。(盗み聞き)

 

知らないことだらけだな~と改めて。

もっと勉強していきたい。

故郷はいいし家族はいいし恋人はいい

20180828

 

本日から沖縄。

 

沖縄に着いてから、れーいに迎えてもらい、実家で母に料理を習い、父と乾杯し、犬の散歩をし、妹と話して、寝床へ。

 

さくらももこさんが亡くなったとのニュースを見て、みんな限りある命を生きてるんだよな~と、しみじみ思う。

 

こうやって家族と恋人と過ごすのも永遠にできる訳じゃない。

 

人は必ず死ぬし、いつ死ぬかわからないのであれば、こうやって家族と恋人と過ごすのも最後かもしれない。

 

大袈裟かもしれないけど、しみじみ思いました。しみじみ。

 

大事にしよう、大事な人と過ごせる時間。

 

 

という訳で、今日の振り返り!

 

起床後、荷造りと家の片付け。

その後、大学院へ。

きいさんとミーティング。

一週間の振り返りと来週の目標設定。

自分の軸を持っている人とそうでない人の違いは、特別な人生を生きると決めているかどうか説。

 

そして羽田空港へ。

沖縄行きの飛行機。

機内でメグジェイの「人生は20代で決まる」を読む。脳は20歳から30歳で成長する。今こうして経験と知見を蓄積しながら物事の考え方を学べる環境に感謝。

 

人生のハッピーエンドを考えてから逆算する。という記述も面白かった。

 

そして沖縄。れーいが迎えてくれました。遠距離恋愛中の、感動の再会。

 

実家で母にミートローフとラザニアの作り方を習った。

 

そして父と母と妹2人とれーいと食卓を囲んだ。

 

いろいろ話して、れーいと犬の散歩へ。

 

そして帰宅。

 

帰宅し、大学受験を控えた妹と色々話した。

 

 

 

やっぱり故郷はいいし、家族はいいし、恋人はいい。

 

自分のアイデンティティをキーワードで表すと、沖縄、レスリング、SDM、あたりが強そう。

 

沖縄で過ごす時間を通して自分の人生において大切なものを再確認したい。

 

 

 

明日から沖縄です。最高です。

20180828

 

満足度が非常に高い今日この頃。

この土日は爆睡キメて、自炊かまして、会いたい人に会えて、最高中の最高でした。

 

最&高!!

 

心10/10点。そして今日は銭湯に行ってきて身体も10/10点。

 

心身ともに絶好調です。

 

そして明日から沖縄に帰ります。

これまた最高です。

 

今の状態を一言で言うと、最高。

 

書きたいことはそれだけ。

以下学びのメモ。

 

・具体的なアトバイスをもらいたいなら、具体的な案を持っていかないといけない。フィードバックが抽象的なのは、案が抽象的なケースが多い。

 

・キャリアはビジョン型か、価値観型がある。どうなりたいかとどう在りたいか。別々のものに見えるけど、それぞれ目的思考で論理を組める。

 

・銭湯は最高。疲れたら爆睡&自炊&銭湯。

 

・バリューファクターは言葉選びが重要。しっくりくる言葉を選べるかが相手の価値観を言語化できるかに繋がる。

 

・アドバイスをもらう際には、Todoとして落とし込める形でもらう。

 

そんな感じです。

 

明日から沖縄。

戦地も巡りたいし伝統にも触れたいし色々見て回ろう。

今回の帰省は人生にとって大事な帰省な気がするな。

 

自分のアイデンティティの確立に繋がる一週間にしよう。

 

一週間後、沖縄の歴史や先人の想い、文化、芸術、沖縄のビジョン、人の温かさ、自然の豊かさ、全てを胸にまたこっちに戻ってきたい。

 

 

 

沖縄のために何ができるかを発想する一週間にしよー!

 

おしまい!