よなハック

【挑戦と変革に共に立ち向かう】徒然と書いてます。

イノシシを捕まえました

20190506

 

本日はゴールデンウィーク最終日。

 

たくさん寝て、明日からの仕事を円滑に進めるためにやるべきことをやりつつ、家でゆったりと過ごしております。

 

ゆったりと過ごしてると、この3日間の怒涛の日々と対照的に、少し物足りなく感じる。

 

というのも、この3日間は、弾丸で岡山へ行き、ヒッチハイクで目的地到着、宿なしで、友達の嫁さんの実家に宿泊、近くまで行ったついでに広島上陸、西粟倉村へ戻りイノシシ捕獲&解体、実食という激しい日々を過ごしていたのでした。

 


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イノシシの件、詳細は羽田さんが楽しくまとめていたのでご覧あれ↓

https://hadatomohiro.com/inoshishi-kukuriwana/

 

というわけで、ここでは僕自身の感想を述べたいと思う。

 

まず、罠にかかっていたイノシシだが、デカかった。罠でかかっているとはいえ、暴れ具合からしてワイヤーが引きちぎれそう。もしワイヤーが外れてこちら側に突進してきたらっていうと、死を意識してしまうほどの暴れっぷりでした。

 

 

そんな猪を羽田さんがバールで20回ほどぶん殴り沈め、頚動脈を切り、仕留めたのでした。

 

今日ほど普段食べている肉が命であり、その命を頂いていることに感謝した日はない。死を前にしてやるか、やられるか。そして、勝った方が食べ、負けた方は食べられる。

 

まさに弱肉強食。

 

命をいただく。自然と命の恵みに感謝です。

 

そして5月5日の午前中はイノシシの解体。

 

猪の皮を剥ぎ、部位ごとに解体していきます。

 

骨に沿って肉を削いでいくだけかと思いきや、構造が立体的でありつつ、丁寧にやらないと食べれる部分まですぐ削いでしまうため、意外と難しかった。



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皆さんにもお分けできるように、小分けにパッキングして作業終了。

 

6時起きで作業を始め、解体が終了したのは12時。大変な作業でした。

 


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猪肉美味しかった。

 

 

とても貴重な経験をさせていただいた西粟倉の旅でした。

 

羽田さん、半田先輩ありがとうございました!

 

また行く。

 

今まで知らなかったよ部落差別

20190505

 

こんにちは。

0504に広島県福山市にある人権平和資料館に行ってきました。

 

展示の内容は、特定の地域で食肉加工や革製品の制作・靴の制作に携わっていた人が差別されていたこと、その差別と闘ってきた歴史。

 

「えた・ひにん」という言葉は小学校か中学校で習いましたが、差別されていた、ということだけ教わっており、「なぜ差別されていたのか?」を習っていなかった記憶。

 

人権平和資料館でも「部落出身ということで結婚を反対された若者が自殺した」などの史実はありましたが、具体的にどのような差別があったのか、差別をする側がなぜ差別をしているのか、差別をされる側がなぜ差別されるのか、そもそも「えた・ひにん」とは何か。「同和地区」とはなにか。

 

日本の部落差別についての知識が乏しいことに気づきました。

 

というわけで、岡山→東京の電車・新幹線の道中、日本の部落差別についていろいろ調べました。

 

特に勉強になったのはYoutubeにアップされていたこちらの動画。

 

部落差別の現在 1991

 

この動画は1991年にテレビで放映されたものですが、被差別部落故に土地の値段が半額で買い上げられたり、関宿小学校を移転するとなった際に移転予定地が被差別部落であったことから住民の反対が起きたり、被差別部落出身というだけで「まともに結婚して生活できると思うのでしょうか?」という手紙とカミソリが送られてきたり、自分の想像を超える差別の具体的事例が見えてきました。

 

特に印象的だったのは、「被差別部落出身者の気持ちは、被差別部落出身者とその差別を受けてきた者にしかわからない」という言葉。

 

正直言って、私がその気持ちを理解するに至るにはまだまだ勉強が必要だと思います。

 

ここで少しまとめ。

 

Q.部落差別とはなんなのか?

→江戸時代ごろから、士農工商、という武士を頂点とする身分制度の考え方が広まった。動物の死骸を加工する、工芸品を製作する、遊郭で働く、などの人々を特定の地域に住まわせた。動物を加工する人々を穢(けが)れているとし、その特定の地域の人を穢多・非人と呼んだ。そして、その地域に住む人を差別するようになった。

 

コメント・・・食肉加工にせよ、革製品の制作にせよ、動物を加工して扱う仕事は異臭を発するため特定の地域に移動させた、という理屈はわかるが、竹細工などの工芸品を製作する人々まで特定の地域に住み、そこに住んでいるが故に差別されてきたのかはなぜかはわからない。これから調べる。

 

Q.同和地区とは?

→同和地区とは、被差別部落を表す行政用語。「被差別部落」≒「同和地区」

 

コメント・・・なぜ同和、と呼ぶのかがわからん。由来を知りたい。

 

 

食肉加工や革製品などに携わる人々の存在は、私たち生きていく上で欠かせないと思います。それらの人々がなぜ差別されてきたかというと、「動物を殺す、その死体を加工する」ということが汚らわしいから。という意味のわからない理由なわけです。現代における部落差別も、あそこの地区出身者は昔から汚れている、という思考停止の差別が行われている模様。

 

全然意味がわからない。。

 

上にあげた動画の中にもありましたが、食肉加工場や下水処理場を小学生が見学する際に、教師が児童に「くさいと思ってもくさいと言ってはいけません」などの指導をするのではなく、「自分たちが生きていくうえで必要な職業に携わる人たち。その仕事が『くさい、汚い』と言われたらどういう気持ちになるかを考えてもらう、そういう教育をしてほしい。」というのは正にその通りだと思います。

 

 

何気ない一言や、汚い・臭い、というイメージがどれだけ人を傷つけるか、そしてそれがいかに差別に繋がっていくか、ということを教育していく必要があると思います。

 

「えたひにん」という身分の人は差別されていました、しか習ってない記憶がある。

 

そもそも沖縄には部落差別がないのかもしれないが。

 

というわけで、部落差別についてわからないことがわかったので、これから勉強していきたいと思います。

 

おしまい!

 

 

 

西粟倉再訪

20190502→0504

 

0502

起きて家の片付け・掃除。

午後は慶應レス部コーチング。皆強くなりすぎ。

キャプテン大山に普通にポイント取られた。

嬉しいことです。超えてってくれ。

 

夜は専修大学体育会の幹と葉月と。

22:00解散。

23:20発の夜行バスで新宿→鳥取・智頭福原へ。

 
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0503

 

11:00智頭福原到着。

高速バスの停留所で下車。

付近をウロウロし、軽トラのおっちゃんを発見。

西粟倉へ行きたい」旨お伝えし、乗せて頂く。

 

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ヒッチハイク西粟倉村の道の駅あわくらんどに到着。

 

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人生の師の一人、半田先輩が迎えに来てくれました。あわくらんどでお昼をご馳走になり、薪割り&温泉のボイラーに薪入れ。

 

半田先輩はバイオマス発熱という、林業の廃材を使用した発熱事業に取り組んでおります。


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半田先輩は、いつも自分の成りたい姿を具体的に持っていて、着実にその姿に近づいていく。色々なことを経験しながら、自分の価値観を捉えている。

 

自分も早く力をつけて、一緒に仕事がしたいな〜。

 

 

西粟倉の温泉宿に泊まろうと思ってましたが、GWでいっぱいで泊まれず、、。

 

Facebookで「泊まりたい」旨周知。


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専修大学同期・スキー部の祐作から、「嫁の実家に泊まれる」との連絡を頂く。

 

電車に飛び乗り津山へ。

祐作・祐作のお嫁さん・お嫁さんのお姉さんと合流。お家へ。

 

祐作とは大学時代に寮の屋上でバーベキューをしたり、ベランダでバーベキューをしたり、卒業式の日には朝まで飲んでたり、、してた割には2年ぶりの再会でした。

 

気づけば可愛い奥さんもらっちゃって。


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急に飛び込んだにも関わらず、大変なおもてなしを頂き感謝する限り。。

 

お父さんの荘厳なオーラに惹かれ、質問攻めにしました。

「リーダーは、『この指とまれ』と言う人。指示を出す人ではない。」

「人が学ぶ手段は、本、人、旅。いずれにせよ能動的に行動していくことが学びに繋がる。」

という言葉が印象的でした。

話しても話しても話し足りない方でした。もっと話したい。

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0504

 

一泊し、新倉敷駅に送っていただきました。


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祐作、ゆかこさん、かなこさん、お父さん、お母さん、ありがとうございました!

 

 

気づけば随分広島側に来ていたので、フラっと行ってみることに。

 

帰省中のみくと合流。

 

福山城と福山平和・人権資料館を巡りました。

 

えたひにん/部落差別についての知識が乏しいことに気づいた。2010年時点のアンケートでも、「差別がある」と回答している人が半数近くいるとの事。

 

えたひにん、という差別って沖縄にはないのでは、、、??


命どぅ宝、いちゃりばちょーでー。(命こそ宝、出会えば皆兄弟)

 

同じ地球に住む仲間なんだから、皆で楽しく仲良くやっていけないもんかね〜。

 

差別とか戦争とかもう止めん?元号も変わったし。

 

勉強したい。


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みく、てんきゅ!

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そして西粟倉へ。

 

半田先輩に会いに来たはずが、気づけば1人であっち行ったりこっち行ったりしてる。自由自在@岡山。

 

夜、西粟倉村民の羽田さんと半田先輩と飲みつつ、山に仕掛けた罠を見に行ったら、なんと、デカい猪が!

 

 

仕留めて捌いて美味しく頂きました。

 

 

 

生命を頂く、ということを肌身をもって感じた夜。

 

一つの生命の終わりが、私たちの食となり生命となる。

 

仕留める際、捌く際には生命と向き合うことの重さを感じざるを得ない。

 

 

自然と生命の恵に感謝。

 

 

そんなこんなで大冒険の3日間。

 

明日は最終日です。

 

平成のまとめ

20190501

 

令和になりました。

元号が変わる、という歴史的瞬間に立ち会うのは一生に一度かもしれない。

 

ということで、いい機会なので私の平成を振り返ってみたいと思います。

 


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母、純子の上に鎮座しているのが赤ちゃん期のワタクシ。

 

・平成6年 生まれる

・平成7年 1歳。窓際に座っており、バランスを崩して落ちそうになったところ、腹筋で耐えてたらしい。母談。

・平成8年 2歳。冷蔵庫の前でいつもあばれていたらしい。祖母談。

・平成9年 3歳。保育園の散歩中、迷子になる。保育園に帰ろうとしていたところ先生に保護される。

・平成10年 4歳。木の棒を集めるのが趣味。

・平成11年 5歳。給食を食べるのがあまりにも早かったため「30回噛んで食べる」というミッションが与えられる。

・平成12年 6歳。 卒園時に36.8kgという巨体。小一の相撲大会に出て3位に入賞した。

・平成13年 小一。相撲大会優勝。すもうクラブから熱い勧誘を受けるが頑として断る。

・平成14年 小二。そろばんをはじめる。

・平成15年 小三。駄菓子屋に通う日々。

・平成16年 小四。肥満児すぎたため、母に「野球か相撲」という究極の選択を迫られる。柔道とレスリングの道へ。

・平成17年 小五。レスリングで全国3位になる。

・平成18年 小六。柔道、相撲、レスリングで沖縄県一位。レスリングは全国優勝。

・平成19年 中一。砲丸投げをはじめる。

・平成20年 中二。学年委員長を務める。

・平成21年 中三。アジアカデット日本代表。全中優勝。

・平成22年 高一。インターハイ沖縄県で開催された。勝てなくて号泣。このために小学校から頑張ってきたのに、と思った。

平成23年 高二。日本国内は全部優勝できました。

平成24年 高三。沖縄県初の団体戦日本一。人生初の嬉し泣き。

・平成25年 大一。新人戦で84kg級、96kg級優勝。

平成26年 大二。全日本学生優勝。

平成27年 大三。一回も優勝出来なかった。

平成28年 大四。夢だったリーグ戦優勝を達成できず燃え尽き症候群へ。起業しようとするが「マネタイズ難!」となり終了。

・平成29年 大学院一。机にかじりついて勉強する日々。

・平成30年 大学院二。“チーム一丸を狙って作るシステム”を研究し、優秀賞受賞。全国優勝社会人オープン優勝。自分のビジネスをはじめる。

平成31年→令和元年 

 

 

というわけで、令和元年でございます。

この一年のテーマは、経済的自由・時間的自由を確保するための基盤作り。

 

勤めている会社で成果を出せるようになるためにも仕事を覚えつつ、人生設計という名の妄想に励む日々です。

 

仕事も毎日楽しく、濃密で刺激的な日々を送っています。

 

「好きな仲間と、好きな事で、価値を生み出すことで、お客さんと仲間から感謝される。そしてお金も回る。」

 

去年一年、小規模ながら自分でビジネスをやってみた感想です。非常に楽しかった。やはり私の価値観として、仲間、達成、感謝あたりが大切なキーワードなのだと思う。

 

 

ここ最近思うことは以下。

 

挑戦しなければ結果も得られない。

人格が備わっていなければ人が付いてこない。

お金を稼がなければ活動が継続できない。

学び続けなければ成長できない。

成長せねば自分のやりたいことを実現できない。

楽しく仲良くやれないとチームが解散する。

 

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今は自分のことで精一杯ですが、全ては自身のやりたいことに繋がっている。

 

そんな実感をもって日々を過ごしています。

 

会社の稼ぎにぶら下がるのでは無く、成果を出せるようになりたい。そのためにも目立たずはしゃがず貪欲に学び続ける。

 

同時に、せっせと基盤作りに励む。

 

テーマを決め、戦略を立て、目標を細分化し、実行し、振り返り。

 

当たり前の繰り返し。

 

楽しくなってきたところです。

まだまだこれから!

 

おしまい!

学び

20190423

 

学び

 

締切から逆算してタスク整理を行うこと。

利害関係者が絡む場合には、目的、やって欲しいこと、成果物、期限を伝えること。

 

 

営業は、全体のプロセスの中で、期待する成果物と次にどう繋げるかを設計した上で営業ミーティングを設計する

 

新人には怒られる特権がある

 

挨拶は気持ちよく

 

見た目と振る舞いに相手への気遣いを。

 

 

 

 

むだい

20190415

 

朝起きてモーニングノート、夜寝る前によなハック。という生活を続けていましたが、30分事に自分が何をしていたかを振り返ることを始めました。

 

 

めちゃくちゃよい。

 

最近よなハックを書く余裕が無い。

 

意識的に時間作っていこう。