2020年も残る所あと数日。
というところで、
2020年の振り返りを少々。
2020年を漢字一文字で表すと「脱」かな〜。
— 与那覇竜太【ガッツマン】 (@yona_tter) 2020年12月22日
毎日が「楽」「充」「満」。
苦を脱した一年でしたな〜。
ちなみに去年は「苦」。
去年一年は本当に自分らしくなかった。笑#2020年 #脱苦の年 #つまり #最高
上記の通り、2020年は脱苦の年。
皆様と同様、色々なことがありました。
大きな学びは、
最近、人としての器、リーダーとしての器、社長としての器、等々、人格の器の話が場に出ることが多い。結果出してるかどうか、マウンティングするかどうかで何かしらの分布図が書けそうだなー。
— 与那覇竜太【ガッツマン】 (@yona_tter) 2020年12月19日
人間としての器。
何となく、人格と一言で表せそうですが、何を持って人格の有無を決めるのか。
私的には、上記ツイートかと思っております。
ーーーーーーーーーー
本当に世の中を良くしようとの思いから行動しているか、自身のコンプレックス解消のための実績の積み上げ(=自身のマウンティングのための材料集め)か。
「社会の荒波を乗りこなす」と意気込んで臨んだ社会人一年目は、例に漏れず溺れ、二年目で起死回生を図り実現出来ている自身を鑑みると、上手くいっていると感じる現状を振り返るに、自身のこれまでの積み上げ&これまでの努力の大小以上の力学を感じざるを得ない。
それも良い学びだったとポジティブに捉える自身の姿勢はさておき、こんなしょうもない経験を後進にさせてはいけないと半ば義務感に近い所感を持ち合わる今日この頃。
「社会に出たらかくあるべき」
「大人になったらかくあるべき」
社会の模範者に写った我々の教員の代も、諸遇社会を経験せず、教員を志し、大学で教職を習得し教員の道を歩んでいる同じ人間である。
熟達度の大小はあれ、何を持って「社会」を規定するのか、正解はない。
徒然とここまで書き連ねたが、言いたいことは一言。
「自身の信じる道を選択し、選択した道を『正解』とするだけの工夫と実績を積むべし。」
背景は色々あるが、メッセージは一言にて。
人格に後進が着くのか。
実績に後進が着くのか。
金に後進が着くのか。
はたまたその他諸々の要因に人が着くのか。
これという解は言い表せぬが、今々で思うことは以上。
善し悪し抜きに、所感として。